嘉永6年(1853)、幕府は各藩の軍備・海防力の強化を目的に大船建造を解禁し、のちに萩藩に対しても大船の建造を要請しました。安政3年(1856)、萩藩は洋式造船技術と運転技術習得のため、幕府が西洋式帆船の君沢型(スクーナー船)を製造した伊豆戸田村に船大工棟梁の尾崎小右衛門を派遣します。尾崎は戸田村でスクーナー船建造にあたった高崎伝蔵らとともに萩に帰り、近海を視察、萩市小畑浦の恵美須ヶ鼻に軍艦製造所を建設することを決定しました。同年12月には萩藩最初の洋式軍艦「丙辰丸」(全長25m、排水量47t、スクーナー船)が、また万延元年(1860)には2隻目の洋式軍艦「庚申丸」(全長43m)が進水します。現在も当時の規模の大きな防波堤が残っています。
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