デザインのある光景Number: 19
Subject:
Aratoyu
Text: Yoshiko Taniguchi
Photo: Kyoko Omori
Mother Comet No.31 | 2018.October
銭湯の背景画といえば、多くの人が連想するであろう「富士山」。発祥は1912(大正元)年、神田猿楽町にあった「キカイ湯」(現在は廃業)に、画家の川越広四郎氏が描いた富士山のペンキ絵と言われている。以降、主に関東エリアの銭湯で愛され続けている富士山のペンキ絵だが、福岡市内の銭湯でも雄大な霊峰を拝むことができる。
その1つ「荒戸湯」は、地下鉄「唐人町」駅から徒歩5分。巨大なマンションやビルの隙間を縫う、狭い路地沿いに暖簾を掲げ、今年93周年を迎える老舗だ。木の下駄箱や棚、脱衣所に飾られた古い映画のポスターなど、当時の雰囲気そのままの内装から昭和ノスタルジーが漂う、古き良き空間だ。
そんな「荒戸湯」に富士山が登場したのは2013(平成25)年。日本に3人しかいない銭湯専門のペンキ絵師の1人、中島盛夫さんによる作品だ。奥行きを感じさせる風景画の正面にそびえる、リアルな富士山の姿。湯けむり空間に開放感をもたらしながら、日常の入浴を至福のリラックスタイムへと誘う光景は、今や「荒戸湯」のシンボルだ。「夫が東京の人だから富士山を恋しがってね。それで他の銭湯と一緒に中島さんを東京からお招きしました。うちは男湯と女湯、それぞれ違う絵が描かれていますが、女湯は赤富士。聞くと滅多に描かないらしいので、わざわざこれを見に来る人もいるんですよ」。18歳から番台に座り続ける、店主の佐伯登志子さん(78)は目を細める。
各家庭に当たり前の設備として「風呂」がある昨今、一日の汗を洗い流す「銭湯」を訪れる機会は少なくなり、佐伯さんも「私が辞めたらここは終わり」と呟く。そんな中、大濠公園が近い「荒戸湯」は“スポーツ応援銭湯”として、ランナーに石鹸やタオルを無料で貸し出すサービスを実施。存在価値を高めることで、時代の荒波を生き抜いている。かつての情緒を今に伝える“銭湯”がなくなるのは寂しい。一日も長く存続することを願うばかりだ。